私の学校では、ほぼすべての人が大学に進学する
就職する人もいない、大学に行くのは当たり前のことで、行かなければ逆に目立つだろう。また就職のための話はしないし、ためになる話もしないので、仮に就職するにしても高校の経験をそのまま生かすのも苦難も業であるような気がする。
高校によって、実務を重視する高校と、勉強を重視する高校がある。自分の場合は間違いなく勉強重視だ。勉強重視の学校では、大学に行くことはさも当たり前のことのように語られ、勉強ができればよく見られるし、できなければその逆だ。
しかし、なんで勉強するのか、ということについて考えさせらる機会は少ないように感じる。もちろん個人で考えているのは当たり前だからわざわざ学校でやることでもない、といわれたらそうなのか、と一時は納得するかもしれない。
それでも、学校で考えるべきだと思う。私たちは、いった何のために勉強しているのだろう、志望校に受かったらそれでいいのか、志望校に受かったら幸せなのか、もちろんこの目標が悪いといいたいわけではない。ただ、私が考えたいのはもっと広い話だ。
大学に行くことは本当にそれぞれの人生にとって有益になりうるか、という話だ、人生全体を大きくとらえて、本当に自分がしたいことはなんなのかということをもっと考えるべきなのではないか、と思う。
自分のやりたいことを考えて、大学は本当に最善の手になりうるのだろうか。
そして学校で大学受験のために勉強しているのだが、もっとこの時間を有意義に使えないか、
そういったことを常に考え続けないと、これからの人生を本当の意味で楽しく生きるのはできないのではないか、と感じる。
周りが大学に行くから、ではなくて、本当に大学に行くべきか、から考える。多様な選択肢から自分自身の選択で選び抜いた一手ならば、もっと皆気合が入るのではないだろうか。
人に選ぶ権利を奪われていては、私たちはこれからもだらだらし続けてしまうと、自分自身と、周りに危機感を覚える。
では私自身はどうしたいのと考えているのだろう。本当に大学に行く意味があるのか。大学で何を得たいのか、大学に行って本当に幸せになれるのか。自分は、本当にやりたいことのことを考えないでそのままに高校に来てしまった。良い仲間に恵まれて、この高校に来たことを後悔はしていない。しかし、自分のことをもっと考えるべきだったと感じる。後悔はしていない、ただ反省をしている。(言いたいだけ)
そしてその結果、入学してから今まで、大きな成果を残すことができていない。自分のことについて、本当はよく考えていなかったような気がする。本当にやりたいことは今すぐできるのに後回しにし続けてきた。その結果、自身の気持ちを無視し続けてしまったと感じる。世界は私が入学してから今までで、本当に大きく変わったように感じる。コロナは終息し、本当に大きなAiブームが始まった。
私がだらだらしている間に、世の中にいる天才たちとその人が作ったAIによって、とてつもない勢いで世界が変わっている、果たして私は本当に今のままでいいのだろうか。進化を傍観しているだけで、これからの世界を生きていけるのだろうか。
大学に行ったら、何が得られるのか、本当に自分に適しているのか、本当に今やらなくてはいけないことは何なのか、こうしたことを、これからも考えて生きていきたいと思う
仮にそうでないなら、これからも人の操り人形として生きていくしかないと思う。そんなのは嫌だ。人が私に求めることなんか知ったことではない。その人の希望通りにいきて最後残るのはむなしさだけだと思う。本当に自分がやりたいこと、達成したいことは何なのかについて、これからも考え続けたいと思う。
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